家里蹲[jiā lǐ dūn]
[意味] 元々は、大学に受からなくて自宅待機状態の意味でした。80年代に流行った言葉で、自嘲して「我是家里蹲大学屋里系」と言ったりしたそうです。日本語の「私は自宅警備員です。」に通じるものがあります。今では、引きこもりやニートを指す言葉として使われています。ニートは働きたくないだけで、引きこもりとは違う気もしますが、ハッキリとした線引きは難しいですね。
まずは、ニートっぽい意味で使われている記事から。
不少大学生高不成低不就 选择“家里蹲”
能就业的岗位瞧不起,看得起的又进不了,不少大学生毕业后选择回家待业,成为“家里蹲”的现象近年来越来越多。就此,相关专业人士认为,越是高校毕业生,越应从基层做起,在锻炼中积累经验、提升能力,才有可能找到更好的职位。家住贵阳的小徐(化名)本科毕业一年多,期间,她除了参加几次事业单位考试外,几乎都“待业”在家。“一直没遇到满意的工作,爸妈也不着急,说反正家里又不要我赚钱养家。”小徐说,她只想找个相对清闲、待遇不错的岗位。
贵阳新闻网より
就職できる仕事はないがしろにし、望む仕事には採用されず。多くの大学生が卒業後、実家で就職待機の道を選び、ニートになる現象が、近年だんだん増えてきている。そこで、関連する専門家は、大卒であれば、下からはじめるべきで、揉まれる中で経験を積み、能力を高めてこそ、より良い職を見つけられる。との意見を述べる。
贵阳に在住の徐さん(仮名)は、大学を卒業して1年ちょっと。その間、数社の採用試験への参加を除き、ほとんど家で“就職待機“状態。“ずっと満足できる仕事に出会えなくて、両親もあせってないし、私が稼いで家族を養う必要ないしね。”徐さんは、ただ忙しくなくて、待遇が良い仕事を探したいだけ と言う。
日本語訳(ぶるさん)
これを取材した記者は、ニート達の仕事に対する要求が高く、「就職可能な仕事は気に入らないが、気に入った仕事には採用されず」というのが、彼らに共通の特徴のようだ。と語っています。
続いて、実際に引きこもりで悩んでいる方の書き込みから。
我浪费了5年的青春,5年的时间,从20-25岁
现在我非常后悔,后悔当初因为挫折选择了家里蹲,错过了太多美好的事情,太多的事情都没有体验过,没有拥有过,没有好好交朋友,没有好好谈过一场恋爱,没有工作过,5年都没留下值得回忆的事情,每天蹲家里玩电脑,玩游戏,看电影听歌,熬夜,晚睡晚起,身体一天天变差消瘦,视力严重下降,近视700度,还经常对家人发脾气,被亲朋好友看不起,让父母也承受巨大压力,我是个不孝子,不管什么原因都应该为了家人去努力,去奋斗,做一个坚强的人。
家里蹲吧より
今とても後悔している。当時、挫折して引きこもりの道を選んだ事を後悔している。多くのすばらしい出来事を逃し、多くの事を体験せず、得たこともなく、友達とちゃんと交流したこともなく、ちゃんと恋愛した事もなく、働いたこともない。この5年間、記憶に留めるに値する事はない。毎日家でパソコンやゲームしたり、映画や音楽聞いたり。徹夜して遅寝遅起き。身体は日に日にやつれ、視力は極度に落ち、高度近視(7D)。いつも家族に八つ当たりをし、親しい友だちには蔑まれ、(自分の事で)両親に多大なストレスを与え、自分は親不孝な子供です。どんな理由があろうと、家族のためにがんばって奮闘し、たくましい人間にならなきゃ。
日本語訳(ぶるさん)
同じように引きこもっている人のレスもあります。実態調査をしていないだけで、中国でも結構いそうです。人口も多いですし。近视700度(7D)というのは、視力が0.01~0.03なので、かなり低下しています。
轻度近视 | ~300 |
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中度近视 | 300~600 |
高度近视 | 600~ |
ネット社会が誕生して、社会の形態が変わりつつあるので「外に出て働く・人と交流する⇒社会復帰」以外にも道はあります。ネットを利用した「外出不要・対面なし」で働ける機会があったら、現状から一歩踏み出せる方もいると思います。職業訓練校もネット授業に対応したら、参加しやすくなります。
ホログラムで授業参加や出勤ができるような社会になったら、引きこもりという概念も変わって「今どき外出するなんてクールじゃないぜ!」なんて時代が来るかも。
ネット上には家里蹲大学があります。もちろん仮想の大学(虚拟大学)ですけど。